星の瞬き

きらめきの日々

2014 ー初動ー

2014年は短期の弾丸でカウコンに行った。
帰ってバイトをするためだ。
そして上京前は家を決めるなどの手配があり、
何度か上京をしていた。

無理矢理短期で免許をとり、
その後上京。
これで好条件でヲタクができる!そう思った。

社会人一年目の最初の3カ月は研修。
必死に張り切って行っていた。
5月のドーム公演は休みだったので、行く。
チケットが安くて、嬉しいような悲しいような気持ちでいた。
2日のみの公演、彼らは頑張っていた。
攻めてたセトリというか、
選曲は良かった印象。

その後、アルバムを引っさげて(だったはず)のs3artのツアーが行われた。
会場と公演数が少なかったこともあり、全ステを決意。(社会人になった謎の自信があったからだ)
おそらくユニット曲の期待が故。
有言実行をした。
セトリがもはやアルバムの曲やる気あるのか疑問だった。
それも思い出。
ユニット曲が良ければそれで良い。(メインはそこ)

ツアー中にMUSIC STATIONの番協があり、
休みなんて取れるだろ、あたったら考えればいい
そう思い、応募した。
これも首都圏住みの特権。これがしたかったのだ。
奇跡的に当選し、番協へ参加。
ライブ形式のもので、カメラ後ろ最前というポジションをいただいた。
自担の立ち位置でカメラの向こうだ。
ほぼ見えている。近かったし、最高だった。
ウイークエンダーはお気に入りの曲になった。

そして、上京して変わったのが、見られる番組が増えたこと。
追うのが前より少し大変になった。

2013 ー助走ー

2013年
JOHNNYS´ Worldの千穐楽が終わり、
寂しさを感じていたが、
コンサートの恋しさも来ていた。
就職活動は次のツアーが始まるまでに終わらせたいと思っていた。
資金もノウハウもないくせに。

気づいたら春になっていて、
ツアーも決まっていた。
どこ行きたいかな〜と考えていた。
基本的に行きたい場所で考えていた。
学生なのもあったし、どこでも行けると思っていたので。

気づいたら各地複数公演入っていて、
楽しい遠征ライフを、毎年度の様に過ごしていた。
時々遠征の片手間に履歴書を送ったりする違いがあるのみ。
でもツアーが終わりに近づいてきて、
夏頃にまた、就職活動を思い出す。
そろそろ決めたいと。
内定式までに決まればと思っていた。
9月に1ヶ月集中して就職活動をしていた。
しかし、内定式までには決まることはなかった。
卒業して上京する計画に向け必死だった。

もちろんヲタクをするための上京。
遠征もしやすいように上京である。
生まれが島国(ある意味)で、大学は僻地(ある意味)が故に
ヲタクをしやすいのは東京と考えていた。

そのうち小さなちょっと分かんない会社に内定をもらう。
ちょっと悩んだが、ここしかなかった。
上京のチケットを手にした。
のちのちにこのチケットがクソ席になろうとも知らず…。

2012 ー光につつまれるー

2012年
その年も新年は新年コンで迎えていた。
そこでアジアツアーが発表された。
当初予定されていた香港公演に行こうかと考えては
ワクワクしていた思い出がある。
日程変更などで叶わなかったが、いい思い出である。

アジアツアーの際の横アリ公演では、
自担の誕生日当日の公演があったりと思い出深いものになった。
その日の周りのうちわの状態は忘れない。
いつもより山田のうちわであふれているのだ。
アルバムJUMP WORLD発売ののち、
この年のツアーでは
行ったことない土地に行ったりと遠征ライフを楽しんでいた。

夏のツアーが終わると冬に
初の座長を務める舞台、JOHNNYS´ World が行われた。
初日は行かないと思っていたが、
交換が決まり、飛んでいく。
内容はなかなかカオスだったが、
きらびやかで、引き込まれる時間だった。
公演に行く日は行きから帰りまで、本当に笑顔が止まらなかった。
就活として東京来ては、就活してます感を感じて、公演に入るというなんちゃって就活が私の中で続いた。
その後も何度か足を運ぶ。
クリスマスも公演に入っていた。
本来なら就職活動に必死になる時期なのだが。

2010~2011 ー躍動ー

2010年冬。
「ありがとう」〜世界のどこにいても〜が発売され、
冬コン、ありせかコンが開催される。
三都市だったことや、
公演数が少なかったこともあり、全ステを決意。

資金的にきつい部分はあったものの、
なんとか全ステすることができた。
とにかくあの空間にいること、
時間を共有できることが、幸せだった。
その中でも、名古屋公演で、
スタンド最前引き当ててくれたお友だちと入った際に
初めて確実なお手振りをもらったのは素敵な思い出。

2011年3月
東日本大震災が発生、コンサートの開催が変更されたりと
影響は大きかった。

この時久しぶりに地元公演があるので参加する。
アリーナの良席が来ていた。
丁度プライベートで参ってた部分があり、
現実を見るのが嫌になって、
自担こそ王子みたいな思考になっていた時代。

2011年6月
一周忌のため帰省して、その帰り道の電車で衝撃的なニュースを知る。
森本龍太郎の未成年喫煙のニュースだ。
嘘だと信じたくてしょうがなかった。
なんだかんだで、メンバー全員に情がわいていたのもあり、
残念で悲しくて仕方なかった。
その後OVERが発売され、なんとももの悲しい曲のイメージが付いてしまった。

SUMMARY 2011の開催があり、
その中で印象的だったのがツボの流れだ。
私の好きな組み合わせ、山田と圭人の出番。

そして2011年9月8日、
その瞬間は訪れた。
何度か入ってるうちの1公演だった。
1バル最前だ。
あまり期待せず、楽しく過ごせればいいと、
柵にうちわを貼り付けたりしていた。

最後の方になり、サインボール投げるタイミングになり、
気づいたらこっちを指差している。
それだけでも満足なのに、
サインボール、飛んできているではないか!
取らないとと思いキャッチしようと思ったが、
どこかに消えてしまっていた。
その時、後ろを振り返り、自席を見ると、
座席と背もたれの間に挟まっていた。
周りに山田担がいなく、平和だったのか
取られることなく、私の元へ来た。
本当に幸せで、大切な瞬間になった。

辛い現実は忘れられる。
この先もついて行こう。そう思った。

2009~2010 ー新たな1歩ー

2009年冬、受験シーズンを迎えた。
受験生であること、冬コンは地元開催もなく、行くことはなかった。
しかし、地元でツアーバッグを持っている人を見ると
羨ましさでいっぱいだった。

受験本番となり、
地元の某地方都市に受験に行った際、
記念に思い出のコンサート会場に行ってみたりした。
本命の大学の受験の後に丁度瞳のスクリーンが発売され、
帰ってきてから受け取りに行ったことを覚えている。

2010年春
その後本命に合格したことがわかり、移住する。
その日丁度TENコンの代々木公演があり、
入りたかったのだが、諸事情で断念。
TENコン行く人とともに飛行機に乗っていたのは
ちょっと寂しかったし、羨ましかった。
その思いと共に西日本の某市へ向かった。

そして大学生活が始まり、GWを迎える頃
夜行バスで行ける、地元から行くよりは行きやすいと気づいた。
TENコンに行けるかもしれないと資金の計算をしたり、
交通などの手配を考えた。
チケットを手に入れるため手を尽くした。
なんとか横アリ公演、全て揃え、夜行バスとホテルをおさえた。
久しぶりのコンサート、受験を乗り越えた後ということもあり、
とにかく楽しみだった。
初めて長期の遠征になる。

そこでSUMMARY開催の知らせがある。
SUMMARYはコンサートと何が違うのかと疑問を持ったことを覚えている。
そして自分の名義で初めてチケットを取る。
何度か行き来をして、何公演か入った。
素敵な夏を過ごせた。
SUMMARY最高と思った。

2009 ー冬のぬくもりー

2009年の冬頃。
ある動画に出会ってしまう。
これを機にまた未来が動き始める。

ソロ曲 moonlight の存在だ。

パカパカのガラケーだった時代、
電池パックが外から見てもわかるくらいはれあがるまで酷使して何度も見た。
さらにはその影響か、裸眼で大丈夫だった視力も落ち、メガネを作った。(完全なる無駄な情報)
それくらい引き込まれていた。

その頃からだろうか、
コンサートに行ってみたいと思うようになったのは。
このパフォーマンスはテレビでは見られないのだと。

次第に心の中の宝箱を頻繁に覗くようになった。

スクール革命の放送開始があり、
その動画もよくみた記憶がある。

その年の初夏、6月
個人的な話になるが、弟をなくした。
弟のなくなる前の数日の過ごし方を聞き、
悔いのないように生きないと、楽しいことは楽しまないと。
そんな風に思うようになった。

そんな時、地元で(厳密にいうと同じ都道府県で)コンサートがあることを知り、
これは行ける。行きたいと思った。
今なら喪に服せよともちょっと思う。

手を尽くして入れることになったコンサートが、
ヲタクの評価が高い天国コン。
本当に楽しかった。
あんなキラキラした世界があることを初めて知った。
横をアリトロが通ったけれど、光で残念に思ったことを思い出した。
光に罪はない。(もちろん)

それからというもの
数日はその楽しかった記憶でいっぱいだった。

その夏、悔いのないように生きようと、進路も大きく変えた。
あんなに出たくなかった北の大地を出ることになるとは思っていなかった。

2007~2008 ー温存ー

出会いから約一年。
私が高校生になった頃の夏、
あのドラマが連ドラになって放送されることになった。

毎週この時間を楽しみに過ごしていたのは、よく覚えている。
毎週、可愛いと思っていたのも記憶している。

その少し後、朝のニュースか何かで
ジャニーズのHey!Say!JUMPというグループがデビューすることを知った。
よく見ると気になっている彼も居るではないか。

デビューか、優秀だなぁといった感想を抱いていた。

デビューしてから、音楽番組に出ていると見たりと
気になる存在であり続けていた。

それでも心の宝箱を時々覗くように開けるだけ。

ジャニーズなんだ。ということをまだどこか気にしていた。

2008年すぎるころまでは時々思い出すように活躍を影から見ていた。